宗教法人 圓光寺

兵庫県丹波市にある笑顔が集うギフチョウの里| 丹波保月の里 、宗教法人曹洞宗 圓光寺

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淡島神社の由来

淡島神社ものがたり

淡島神社ものがたり

 

丹波市春日町多田 円光寺境内の片隅に淡島神社があります。その傍に今も多羅の木が2本、すくっと立っています。2人の姫の生まれ変わりなのです。

村の繁栄と村人の幸せを願って430年も見守ってくれています。小さな祠ですが、特にご婦人の頼みごと子授けから合格願いまで霊験あらたかだとお参りの人が絶えません。

 

今から430年ほど前のこと。
この山の頂上に「保月城」というりっぱなお城があった。

 

この山の頂上に「保月城」というりっぱなお城があった。

 

その城の大将は、赤井悪右衛門直正とゆうた。

今までいっぺんも戦いに負けたことなかったんで「丹波の赤鬼」と呼ばれて、まわりの城主から恐れられておった。

 

その城の大将は、赤井悪右衛門直正とゆうた。

 

明智光秀が軍勢をひきいて戦いをいどんで来た。
赤井軍は、必死で応戦。勝った!
けど・・・
明智軍はすぐに作戦を建て直し黒井側から大軍を率いて攻めて来た。

 

明智光秀が軍勢をひきいて戦いをいどんで来た。

 

迎え討つ赤井軍・・・
・・・やがて・・・
食べる物も水さえもなくなって・・・

 

迎え討つ赤井軍・・・

 

保月城は燃える・・・
炎は、天をこがし・・・
落城したのは天正7年(1579年)夏のことであった。

 

保月城は燃える・・・

 

お城づとめのお姫さんがふたり山をころがるように、円光寺の境内まで逃げてきた。
後を追って、明智軍武士が・・ああ無残にも・・・

 

お城づとめのお姫さんがふたり山をころがるように、円光寺の境内まで逃げてきた。

 

あいにく体を悪くして臥せていた鉄山禅師は、はい出して助けようとしたが・・・間にあわなかった。
ねんごろに葬ったあと、「わしに出来ることは供養してあげること」と毎日ふたりのためにお経をとなえた。・・・しばらくしたら・・・

 

あいにく体を悪くして臥せていた鉄山禅師

 

こんもりとした土のそばから多羅の木が二本生えてきて、みるみる内に大きく太く茂った。

 

こんもりとした土のそばから多羅の木が二本生えてきて、みるみる内に大きく太く茂った。

 

ある朝、いつものように鉄山和尚がお経を唱えていると、ふたりの姫が現れて「毎朝わたし達のためにありがとうございます。
お礼にこの多田村が、いつまでも平和で盛える村になるようお守りします」といって、すーっと多羅の木のかげに消えた。

 

ある朝、いつものように鉄山和尚がお経を唱えていると、ふたりの姫が現れて「毎朝わたし達のためにありがとうございます。

 

村人たちは力をあわせて、小さなお宮さんを建て淡島大明神として姫たちを祀った。
多羅の木は今まで何度か枝が枯れたり、折れたりしたが、また芽を吹き返し、今もこうして生きている。

二本寄り添うようにして・・・

 

村人たちは力をあわせて、小さなお宮さんを建て淡島大明神として姫たちを祀った。

 

このお宮さんは女の人の守り神として遠くからもお参りの人が絶えんのじゃ。

 

絵・文 義積 きみ子